教育現場をゆがめるセンター試験 (以下の記事は 2006年10月22日書いたものです。そのつもりでお読みください)
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現行の大学入試センター試験が開始されたのは1990年である。その前(1979年)の共通一次試験を含めれば、すでに27年が過ぎた。しかし、最近、採点にコンピュータを使った試験のあり方に疑問を抱くようになった。そろそろセンター試験を廃止してはどうだろうか。
第一の理由は、27年の間に良問が出し尽くされ、近年は些末な問題が目につくようになったからである。センター試験は、毎年本試験、追試験、それぞれの予備試験と4種類の問題が作成される。しかも一度出題された内容は基本的には使われない。したがって、薄い教科書から毎年毎年良問を作成することは、非常に困難な作業となる。 そうした事情から、私が教えている「政治・経済」などでは、最近、高校生には酷すぎる細かな時事問題の出題が増える傾向がある。また、他の教科でも、解法のテクニックが幅をきかしたり、「だまし」や「引っかけ」に近い問題も少なくないと聞く。 その結果、本来、高校教育が理想とする教授内容と、現実に出題されるテスト問題の間に大きな乖離が生じ、センター試験の存在が高校現場の教育をゆがめるという現象が出はじめている。
第二の理由として、択一試験という出題形式も高校教育に悪い影響を与えている からである。本来、学問は答を自分で発見するところにおもしろさがある。ところが、センター試験は答を発見することではなく、すでに準備されている選択肢の中から正解を探し出すことばかりを求める。 しかも1問1分半という短い時間で解かなければならない。朝から晩までセンター試験の問題を解いてみれば分かるが、頭の柔らかい高校生にそうした訓練を課すことは有害ですらある。 今、日本が必要としているのは、創造力の育成であり、世界に通用する人材の育成である。そのために必要なのは、短時間でセンター試験の9割が解ける能力ではない。たとえ時間がかかっても、解けない残りの1割を解ける能力である。 もし、センター試験を廃止し、各大学が課す2次試験に一本化すれば、また、かつてのように難問・奇問が出題されるかもしれない。しかし、創造力を育成するためには、難問・奇問を排するのではなく、むしろそうした問題に積極的に挑戦する姿勢が重要とはいえないか。 近年、学校間競争が激しくなり、企業ばりの成果主義よろしく、センター試験で高得点をあげることが絶対視される風潮がある。しかし、そうした風潮は高校教育のゆがみをいっそう助長する可能性がある。 共通一次試験が導入された当初、こうした試験には意義があった。しかし、四半世紀が過ぎて弊害の方が大きくなった。最初に共通一次試験を受験した人は、今年46歳を迎える。そろそろセンター試験を廃止し、各大学が課す2次試験に一本化することを考えてはどうだろうか。
★ ★ ★ ★ ★ ★ (追記) 2021年1月からセンター試験に代わり「大学共通テスト」を実施。。
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